以下、映画の内容を含みますので、未見のかたはお気をつけください。
(2023/1/9)
生まれながらに耳が聴こえないプロボクサーの女性(ケイコ)を岸井ゆきのが演じる。
氷を噛みくだく音、踏切の警告音、ボクシングジムでミットを叩く音、なわとびのリズム、他人の声――それら一切は、ケイコの耳に届かない。音が聴こえないため、他人と音声を介したやり取りができない。なのでケイコは家族と手話で会話を行い、ボクシングのセコンドは(指示が聴こえないため)試合中のサインを決めていたりする。
自分の意思を伝えるため、また相手を理解するために言葉が用いられる。多くの人間が喋って言葉を交換するが、それを失っているケイコは疎外感や不安、苛立ちや負い目を抱えながら生きていたのかもしれない。
東京の下町(?)を舞台にしたこの作品ではコロナ禍の状況もかなり描かれていて、荒川の水の流れのように、止まることのない時代をうつしだしている。新型コロナ、ボクシングの勝敗、ジムの閉鎖――世界は何が起こるかわからなくて、そして常に流れつづけている。
粉雪、グラスの氷、蛇口をつたう水、試合の合間にセコンドからぶっかけられる水、血の混ざった唾、雨、シンクから溢れる水、汗、涙、川……水は様々の異なったかたちへと変わる。それらは当たり前のようにそこに在るだけかもしれないけれど、人が見た分だけ触れた分だけ人間をつくっていく・変えていくこともあると思う。
劇中の重要な登場人物の一人に、三浦友和が演じるボクシングジムの会長がいる。会長はケイコと筆談せずに話し、シャドウを見せ、温かい飲み物を与えて、ケイコに自分の帽子をかぶるよう渡す。自分が話した後、会長はケイコに返事を求め、ケイコもそれに声で応じる。深い信頼。言葉のやり取りを越えた、人間と人間が触れあう素晴らしさが二人の間には感じられる。
ケイコがボクシングの練習内容を記録したノートは病床の会長を励ます。会長の優しさはケイコの心身に影響を与え、彼女は他者とのコミュニケーションを楽しめるようになっていく。
(ケイコが試合で負けた後、病院にいる会長が車イスで動きだしたシーンはとても印象的だった)
ロードワーク、ホテルの仕事、コロナ禍、ボクシングの痛みや苦しみ……。立ちどまりたくなりながらも、試合で負けてしまっても(試合の勝者である相手も日々を生きている)、ケイコは再び走りだす。
(スクリーンで川の水を目にして、川崎でこの映画を観た後に多摩川を見に行った。水は止まることなく流れ、河川に架かる橋の上では自動車が走っていた)