以下、過去の記述より。
カッコ内は私が見た日付です。
※ネタバレを含みますので、未見の方はお気をつけください
DEAD OR ALIVE
DEAD OR ALIVE 犯罪者
(2011/1/6)
噂には耳にしていたが、本当に面白すぎる。三池崇史監督サイコー!
哀川翔さんと竹内力さん、存在感ありすぎるし台詞や表情がいちいちシブい。
ただでさえ異様なスカトロ好きのヤクザを石橋蓮司が演じていて、不気味さ三倍増しだった。
主演の二人が互いの全てをかけて闘うラストシーンは圧巻。
かめはめ波でた。
DEAD OR ALIVE 2 逃亡者
(2011/1/7)
まさかの1との関連性のなさに、15分くらい観てようやく気づく。
幼なじみたちの帰郷は、観ている者を切なくさせる。(ましてや、それが逃亡者ならなおさら)
接続詞だけが画面に浮かぶ演出は斬新だった。
ラストの船での、きつねうどんの揚げを親友二人で同時に食べるシーンは良かった。
DEAD OR ALIVE FINAL
(2014/3/19)
哀川翔と竹内力。
舞台は西暦2346年の横浜。
市長の政策により「種を絶やす薬」を服用することが義務づけられた世界。ブッとんだ内容ながら、シリアスなテーマを盛りこむズルさ。
DOA2001型というロボになった主人公二人。明らかに男根を想像させる型、二人の顔は睾丸――種の起源――となり、ロボは動きまわる。
十三人の刺客
(2013/2/13)
工藤栄一監督『十三人の刺客』の三池崇史監督によるリメイク作品。エンターテインメント、時代劇。
十三人 対 多勢、わかりやすい図式・ストーリー、面白い。観るものを退屈させない(特に後半の落合宿での戦!)。
役所広司、伊勢谷友介、市村正親がカッコよすぎる。松方弘樹さんもカッケェ。
信念のためだけに命の炎を――その限界以上に――燃やしまくる姿は、見ていてシビれる。
日本映画の枠を超える、アクション。
一命
(2013/4/4)
主演は市川海老蔵。
狂言切腹をきっかけに武士の面目や庶民の貧窮、愛することとは何かが描かれる。
坂本龍一の音楽が良い。
劇場では3D映画として公開されたらしい。
自らが病に冒されつつも夫を愛し、子を慈しむ芯の強い女を演じた満島ひかりが厚みのある演技を披露している。
作品には終始、静かで重厚な空気が流れている。
海老蔵は声が凄い。
どっから出してんだあの声。
終盤、80人を相手に戦っていた。
悪の教典
(2013/11/4)
原作は貴志祐介の小説作品。
サイコキラー教師の蓮実(伊藤英明)による殺人劇。ホラーでもミステリーでもない、完全な殺人エンターテインメントショーとなっている。
教訓もないし、観ている者が何か考える隙も考察も生じない。知性や狂気など、蓮実のキャラクターをもっと深く描けば――という文句も放てない。ただのショーだから。蓮実がぶっ放す散弾銃の餌食になるだけだ。
なので勿論、反道徳的とか言うことも何もできない。
藁の楯 わらのたて
(2014/1/26)
原作は木内一裕の小説作品。
ロリコンの殺人犯に孫を殺された大富豪(山崎努)は「犯人を殺したら10億円」と国民に知らせる。その犯人(藤原竜也)を九州から東京の警視庁まで護衛することが主人公(大沢たかお)の仕事。かなしい。
犯人の清丸を殺そうとする人々は皆、各々理由があってそれを実行するのだが――じゃあ、俺が普段殺人をしないのはそれが金を得ないからなのか?――、かなしい。
で、その清丸を殺そうとする人々のせいで死ぬ警察の人間も、性根から腐ったクズと呼ばれる清丸も、彼をまもり続ける(仕事を続ける)主人公も……かなしみと虚しさを感じずにはいられない。
作品はとても面白いエンターテインメントだが。
(清丸というキャラクターが原作小説でどういう人間なのか、また監督等の方向性もあるとは思うが)藤原竜也の演技は良いのだが、彼にはもっと狂気を孕んだ演技を期待してしまう。
殺し屋1
(2014/3/3)
原作は山本英夫のマンガ作品。
R18指定のグロい作品だが、かなり面白いエンターテインメントになっている。
大森南朋が演じるイチがいいキャラクターすぎ。浅野忠信の狂った演技も良い。
頬からピンを突き刺す場面や浅野忠信が(自分の!)舌先をかっ切るシーンはどういうギミックを使用しているのだろう。
≪相手に痛み与えるときは、気持ちこめないと≫
太陽の傷
(2014/3/25)
主人公の片山を演じるのは哀川翔。
法に守られた狂った子どもと対する大人。
娘を殺され、妻は自殺。
狂った少年の神木を片山が最後に殺してくれて(しかも、残した妹を気にかけて!←大人としての責任をとり)救われた。
ただ、法というのは自由な人間を縛る目的でつくられたものでもあるから、法律や常識を無視する(あるいは理解しない/できない)少年たちの姿はもしかしたら、人としてのありのままの生きかたなのかもしれない。
少年たちは、自身の痛みには敏感だ。