古井由吉さんの小説で初めて読んだのは『杳子・妻隠(つまごみ)』でした(昔に読んだため下記の感想には含まれていません)。詩的な描写だなーと感じたのを記憶しています。
以下、過去の記述より。
カッコ内は私が読み終わった日付です。
木犀の日 古井由吉自選短篇集
(2013/7/14)
もくせいの日。
作品に登場する男のほとんどは、狂気をうちに抱えている。
「先導獣の話」で大衆がパニックに陥ることを求めつつ冷静な視線でいる男。「陽気な夜まわり」で学校をまわる男と彼の話を聞く男。「秋の日」で歯痛をきっかけに鬱病になり女に養われる男。
表からは見えないが 彼らは得体の知れない感情や欲望、また本能的な何かを秘めており、親しみが湧く。
槿 あさがお
(2013/8/2)
長編小説。
主人公の杉尾は中年。
青春のおわり、老いのはじまりに、二人の女との関係が絡み合う。
性的な面と純心な部分も含めた愛、過去と未来――はっきりとしない時間、”いつか”ってのが大きなテーマでもある――、狂気と正常、様々な要素を生々しくも詩的に描く。
人は、これほどまでに過去に執着するものか。
山躁賦
(2013/8/21)
さんそうふ。
現在から過去まで、現代文学でありながら古典的でもある。
古歌やタイトルを用いて、連作に仕上げてしまうのは流石。
病、生死、山、旅、自我と山棲みのモノ達……著者の世界が凝縮されている。
夜明けの家
(2013/9/13)
死者たちのこと(言葉)、それを書くことにより浮かびあがる生への思い(想い?)。
他人の死の話を他人づてに聞いた私によって語られる「祈りのように」からはじまる連作短編集。
表題作「夜明けの家」では若年の記憶と老人の言葉、夢や幻想が折り重なり、明け方の家の効果を高めている。
「クレーン クレーン」で、屋上に置かれたクレーンをどのように降ろすか、について書かれているのが印象に残った。
聖耳
(2013/10/3)
著者自身の五度にわたる眼の手術(右眼3回、左眼2回)を中心に変化する日常や過去、空想をまじえた連作短編集。
「知らぬ唄」の冒頭で≪踊り場また踊り(る)≫という言葉の意味を模作する文章にあらわれているが、言葉への向きあいかたという新たな一面が顕著である。
現在と過去(時空間の超越)や現実と空想、主観の転換など、注意して読んでいないと読む者は置いてけぼりをくらってしまう。から、難解。