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【本】國分功一郎『暇と退屈の倫理学』メモ

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寄生獣ミギー

以下、過去の記述より。
カッコ内は私が読み終わった日付です。

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■國分功一郎『暇と退屈の倫理学』
(2018/1/4)

●≪ウサギ狩りに行く人はウサギが欲しいのではない。≫
ウサギ……欲望の対象
欲望の原因……気晴らしが欲しい

●暇と退屈の違い
暇……客観的な条件
退屈…主観的な状態

●退屈の形式
【第一形式】
 何かによって退屈させられること。(電車を待つ間)
【第二形式】
 何かに際して退屈すること。
(パーティーの例。≪私自身のなかに空虚が生育してくる≫)
【第三形式】
 なんとなく退屈だ。
※第一形式と第三形式は同類

→人間はおおむね退屈の第二形式を生きている。

●環世界
それぞれの生物が生きている世界。
客観的な世界ではなく、一個の主体として経験している、具体的な世界。
→人間は高度な環世界間移動能力を持つ

(例えば……本を読む、会話する、音楽を聴くこと)
(岩明均『寄生獣』のラスト2話。ミギーの台詞。≪そりゃ人間がそれだけヒマな動物だからさ。だがな それこそが人間の最大の取り柄なんだ。心に余裕(ヒマ)がある生物 なんとすばらしい!!≫)

●結論
①贅沢を取り戻すこと=浪費すること(必要の限界を超えて物を受け取る)
 ※消費とは異なる(物ではなく観念が対象のため終わりがない)
②≪動物になること≫
(思考するとき、人は思考の対象によって”とりさらわれる”)

→②は≪人間であること≫を楽しむ①を前提にしている。

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