スポンサーリンク

【本】高橋源一郎『恋する原発』感想

スポンサーリンク
高橋源一郎_恋する原発

以下、過去の記述より。
カッコ内は私が読み終わった日付です。

=======
■高橋源一郎『恋する原発』(2013/9/12)
震災のチャリティーAVを作ろうとする男(たち)の物語。

2011年3月11日 午後14時46分に発生した東日本大震災とその後の福島第一原発の事故を受けて書かれた作品。

後半唐突に「震災文学論」が挿入されるのにはビビった。
ビビったが、これは唐突ではなく、ある必要性によって書かれていることに後から気がつく。

何故なら、この物語も世界も、いたるところが”ずっと揺れ”ているからだ。

あと、口語調の部分がハンパない。

■高橋源一郎『恋する原発』(2013/11/23)
再読了。
二回読み、深遠な内容とこの小説のテーマを少し掴んだ気がする。

描いているのは、人類のタテの糸(歴史)だ。
時間軸ともいう。

現在を生きるその時代の人間は、自己の生活・欲求を満たすことを優先してしまった。
それが原子力発電であり、途中にある「震災文学論」内のイシムレミチコの小説にある水俣病(結果としての)であり、作品の冒頭、チャリティーAV「恋する原発」に出てくるたくさんのお猿さんたちのオナニーだ。

そう、オナニー。
マスターベーションだ。
お猿の”自家発電”や各国首脳が所有するダッチワイフなど、様々なマスターベーションが書かれている。

だが、最後に描かれるのは、――お猿さんたちに代わり――たくさん(2万人)の人間によるセックス(愛の行為)であり、主人公イシカワはダッチワイフと宇宙人ジョーンズに別れを告げる――マスターベーションとの別れである。

震災が起こりえる、汚染された”浄土”でしか生きることのできない現在の人間たちは、自己の欲求を満たしながらも、過去や未来の人間たちのことを思い、生きることが定められている。

タイトルとURLをコピーしました