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【本】ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』感想

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ロシアの文豪ドストエフスキーが晩年に書いた小説。
『カラマーゾフの兄弟』
私は光文社古典新訳文庫で読みました。
(全5冊:1~4巻+エピローグ別巻)

昨年末に仕事を退職して、まず『罪と罰』を読みました。
私の2021年はラスコーリニコフが酔いどれの元官吏と酒場で出会うことから始まりました。

で、次に読んだのが『カラマーゾフの兄弟』。
これほど長大で濃密な作品、仕事をしている日々で読む余裕は時間的にも精神的にもありません(自分の場合は)。

以下、過去の記述より。
カッコ内は私が読み終えた日付になります。
100年以上前に書かれた世界的な名作にこういうことを書くのは少し憚られますが…。
「以下、ネタバレを含みますので未読のかたはお気をつけください」

カラマーゾフの兄弟1

(2021/2/2)
光文社古典新訳文庫版(1~5巻、5巻はエピローグ)。

『罪と罰』を江川卓の名訳で読んだ影響が最初あった。
『カラマーゾフの兄弟』の訳者は亀山郁夫という方。
(翻訳された作品を読むという行為は、どうしても訳者の文章を読むというのを避けられない。なので、訳者の文章が合う・合わないというのは必ず生じると思う。)

キャラクターとか呼び名が中々つかめなかったので、最初のうちはメモを取った。

カラマーゾフ家の男は、好色。
父フョードルも長男ドミートリ―も(たぶん次男のイワンも)自覚しているほど。
三男のアリョーシャは、その手の話を聞くだけで顔が赤くなってしまうほど。
だが、1巻のラストでリーズからのラヴレターをもらってまんざらでもない感じ。

父フョードルは殺されるらしい(2巻以降)。

カラマーゾフの男たちはよく、アリョーシャに善悪をたずねたり、物事を聞いたりすることが多い。
無垢(?)な存在として描かれているアリョーシャが、リーズからの恋文をもらって、またカラマーゾフ家の好色家およびその目当てとなる女たちによってどう変わっていくか。
または変わらない信仰はあるのか。
そのあたりが今後の見どころ。

カラマーゾフの兄弟2

(2021/2/11)
この巻はカラマーゾフ家以外の登場人物の話が多い。
 ・ホフラコーワ夫人(金持ち)と娘のリーズ(車イス)
 ・スネギリョフ二等大尉と息子のイリューシャ※
 ※イリューシャはアリョーシャの指を噛んでケガを負わせる
 ・ゾシマ長老

スネギリョフはかつてカラマーゾフ家の長男ドミートリ―にコケにされたらしい。
ヒゲをひっつかまれて酒場の外へ連れ出されるって、あんまりやらないし、やられないだろうが…。
たしかにそんなことをされたなら怒り心頭になるのも無理はない。

ドミートリ―の婚約者カテリーナから預かった金をアリョーシャがスネギリョフに渡した際、スネギリョフは”そんなつもりじゃなかったのに”、その金を地面に叩きつけて踏みにじる。
人間の感情と行動に関して、印象的な場面だった。

人は思ってもいないことを数瞬後にはしていることがある。

イワンによる物語詩、ゾシマ長老の話(アリョーシャが書いた設定)はキリスト教の要素などが多すぎて難しかった。

カラマーゾフの兄弟3

(2021/2/21)
この巻ではついに、カラマーゾフ家の父親フョードルが殺される。
で、犯人は長男のドミートリ―ということにされる。

まずはゾシマ長老の葬送。
だが、ゾシマ長老の死体がはなつ腐臭により、教会の人々は騒然となってしまう。
人の死体が腐食して臭くなるのは当たり前だが、亡くなった後の臭いという、目に見えない死者がはなつそれに嫌悪を隠せない人々。

アリョーシャとラキーチンはグルーシェニカの家へ行く。
グルーシェニカが話す「一本の葱」は、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出さずにはいられないが、巻末の訳者(亀山郁夫)の読書ガイドによれば、芥川のは「因果の小車」というのを財源にしているのが定説らしい。

そしてドミートリ―(ミーチャ)の2日目と3日目の行動へ。
グルーシェニカを求めるドミートリ―は、金と時間に追われている印象が強い。

2日目の夜、父のフョードルが殺されてしまう。

予審で質問を受けるドミートリ―の態度が好ましい。
嘘をつかず、主観のままに話す男(現実にいたら苦手なタイプの男ではあるが)。

2巻のゾシマ長老の話(をアリョーシャが記したやつ)、かつて人を殺した男がゾシマ長老に罪を告白する話が、ここにきて重みを増してくる。
2巻を読んでいる最中は、これはもう別の作品として(イワンの物語詩も少しそう思った)、まとめてもらいたいとも感じたが……綿密かつ壮大すぎる作品。

4巻は700ページちかくある。
高い壁だが、読み進めるのは楽しくもある。

カラマーゾフの兄弟4

(2021/3/13)
4巻では第10編~第12編が書かれる。

第10編「少年たち」ではコーリャ・クラソートキンという中学生(?)の少年が登場。
自分が早熟で頭が良いことを誇示し続けるクラソートキン。は、アリョーシャの前ではおとなしい。

第11編「イワン」でついに、スメルジャコフが父殺しを告白する。
ただしそれは、イワンを信奉するあまりにスメルジャコフがとった行動だった。
イワンは悪夢に悩まされる。

そして第12編「誤審」。
ドミートリ―に裁きがくだされる。

この小説は「わたし」という誰かが書いた体裁をとっている。
誰かが見て書いた物事。
殺したと主張する検事と無実を主張する弁護士。

事実とは一体、何なのか。
他人が見た・聞いたこと、他人が語る言葉――
それらによって判決という「決定」ができあがってしまうのは恐ろしい。

カラマーゾフの兄弟 エピローグ別巻

(2021/3/16)
(正確にはまだ読了ではなく、これからドストエフスキーの紹介や訳者・亀山郁夫の解説を読むが、それを読んだ後に書くと”引っぱられそう”なので。)

有罪となったドミートリ―は収監場所からの脱走を計画している。
イワンは病に冒されたまま。
アリョーシャは少年たちとイリューシャを弔う。

●長男(ドミートリー)
無実の父親殺しで有罪。
父親・先代の負の遺産を担う羽目に。

●次男(イワン)
頭が良すぎる彼は病の幻影に苦しむ。
時代を変革する者に苦悩が与えられる。

●三男(アリョーシャ)
少年たちとともに新しい時代を拓く者。
長男・次男を経たからこそ、新しい時代に行ける。

●下男(スメルジャコフ)
イワンに信奉して父親を殺す。
時代を変える行動を実行した者。

カラマーゾフ家の”兄弟”(簡潔にだが)は、このような縦の流れ・時代の変遷を表現していると解釈したが。

エピローグのラストはアリョーシャの少年たちへの挨拶の場面。
純粋な思いを言葉にできる者たちが歓喜の声をあげる。
「カラマーゾフ万歳!」

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